寿しは純日本食ではなかった その②
「お寿司は日本生まれの食文化ではない」というお話を
お伝えしていますが、この書き込みに数人の方から抗議?
クレームを頂きました。
「寿しが日本の食文化ではないはずがない。もっと調べて
見た方が良いのではないか・・・」とのお話でした。
今回その件につきまして、「反論」させて頂きます。
いわゆる、現在日本の中でごく一般的に「寿し」と呼ばれ
ているのは、シャリの上にネタが乗っている形態の食べ物
ですが、これは正式には「江戸前寿司」と呼ばれるもので、
この江戸前寿司の歴史は、今からおよそ300年程度の歴史
と言われています。
比較的新しい食文化なんですね・・・。
その、江戸前寿司の原型が、「馴れずし」と言いまして、
お魚をお米や野菜などで発酵熟成させてから食べるもの
なのです。
この「馴れずし」のルーツが、タイやミャンマー、カンボ
ジアといった東南アジア地域ということになります。
世界有数の米産地だからなんですね。米を使って、お魚を
発酵させて保存する「保存食」として定着したことが理由
のようです。
その「馴れずし」が、中国大陸を北上し、紀元3世紀前後
に日本に入って来たと言われています。
その馴れずしの日本での変化形が、滋賀県の「ふなずし」
や石川県の「かぶらずし」、秋田県の「ハタハタずし」など
と発展し、北海道の「飯寿司」(いずし)として一気に花が咲
き、現在に至るのです。
寿しの原型が日本に入って来てからおよそ1,700年の歴史が
あるんですね。
その変化の過程で、江戸元禄文化が栄えた時代に、江戸城下
町で大人気となったのが、酢飯を使って魚介類を載せて食べる
江戸前寿司だったのです。「早く食べられる寿し」だったんで
んですね。
これが、今では「寿し」の主流になっているのです。
ですから、日本列島、今でも「寿し」と言えば、青森県の津
軽地方では「馴れずし」「いずし」のことを指す地域もある
のです。
我が北海道では、「寿し」と言えば、江戸前寿司。いずしは
「いずし」で堂々と通用する地域、馴れずしが市民権を得て
いる数少ない特殊な地域とも言えるのですね。
今日も読んで頂き、誠に有難うございました。
資料文献提供は、我が国寿し研究の第一人者で、日本食研究家
日比野光敏先生によるものです。
写真は、我が国寿司研究の第一人者で日本食文化研究家の日比野
光敏先生です。https://pat.securite.jp/data/blog/archive/original/31051.jpg